【サッカー日本代表】中島翔哉情報まとめ&個人的な見解付き(リオ五輪・ポルティモネンセ・アルドゥハイル)

2019年7月11日

今回はサッカー日本代表の中島選手について、個人的な見解も含めてご紹介します。

サッカーはいろいろな考え方があって面白いので、もしご意見などがありましたらコメント下さい。

さて、私が中島選手の存在を知ったのは、下記にあります、リオ五輪時代からです。

アジアの戦いからすべての試合を見てきましたが、その頃から別格の存在でした。

いまだに、浅野はリオ五輪後にアーセナルへ移籍したのに、中島がFC東京でくすぶっていたのが、なぞです・・・

リオ五輪の戦いを見て、その後友人や家族に中島選手は世界的な選手になると何度も話していたのですが、「あっそ」くらいの反応で悲しかった思い出が多々あります。

ただ、リオ五輪からしばらく経っているのに、ポルティモネンセ移籍が決定した時の個人的な喜びは格別でした。

ポルティモネンセのスカウトはかなりサッカーを見る目があるなと感心したものです。

でも、海外移籍が決まっても周りの反応は冷たかったですが・・・

その後の活躍は皆様ご存知のとおり!

今シーズンはスカパーでポルティモネンセの試合が見れるからめっちゃ幸せです。

朝方の試合が多くそこだけがネックですが、中島翔哉が活躍すると朝方でも叫んでいます

スカパーさん、本当にありがとう(。•ᴗ•。)♡

ここからは個人的な見解で、なぜ中島選手が世界的な選手になると五輪の試合を見ていて思ったのかをまとめていきます。
※本当はリオ五輪代表監督の手倉森監督のすごさを熱く語りたいのですが、長くなるので、今回は中島選手のみでWW

①サッカー選手としての考え方・思考

ハリルホジッチ監督時代の日本代表戦を見ているとよくわかるのですが、とにかく横パスやバックパスが多く、見ていてもつまらないものでした。
たまにするのが効率の悪いカウンターやウイングの仕掛けばかり・・・

中島選手の大きな違いは、とにかくボールを取られるリスクが上がろうが、アタッカーとしてまずはゴールに向かう姿勢です。本人も海外向きと言っていますが、この部分がかけている選手は海外では評価されません。
また、何よりもゴールになる確率が高くなるプレーを最優先に考えているというところが、一番評価出来ます(シュート・パス・ドリブル含め)
マリ戦での本田選手への対角線へのパスだけでも鳥肌がたつプレーです。

※昔、中田英寿選手が日本代表だった時に周りの選手達にそのことで怒っていたことを思い出します。

ヒデが言っていたことは、なぜリスクもない場所でも前を向いてビルドアップをしないのかということでした。

現代サッカーを見ているとよくわかりますが、守備陣が整っている状態でゴールを決めるのは難しく、カウンターやセットプレーからの得点が特に多いことです。

だからこそ、中盤でボールを奪ったらなるべく早くゴールに直結する確率が高いプレーをする必要があるのです。
ボールを取られるよりも、チャレンジをしない無難なプレーを優先させる選手は海外では評価されません。

②サッカー選手としての能力

身体は小さいが体幹がしっかりしており、シュート・パス・ドリブル・判断力の速さ・スタミナなどが高水準だということ。

よく、足が早いだけの選手や、テクニックはあるがあまり動かない選手などがたくさんいる中、中島翔哉はバランスが良くサッカー選手として必要な能力が高い。

本当によくトレーニングしてきたんだろうなという事が分かります。中島翔哉のようにテクニックがある選手は日本にもたくさんいますが、そういう選手ほど小手先のテクニックに頼り、動きが足りない選手が実に多いことか!

③小さいながら、ミドルシュートの威力があり、ゴールを狙える

実はたかがミドルシュートと思う方もいるかもしれませんが、このミドルシュートでゴールを何本も決められる選手か選手じゃないかは大きくサッカー選手としての評価に繋がります。
中島翔哉は、乾選手が得意とするコントロールカーブシュートも得意ですが、あの小さな身体からは想像がつかないほどの精度が高く、威力のあるミドルシュートをうつことが出来ます。
長身で反応が早い海外キーパーがたくさんいる世界との戦いでは、ミドルシュートからゴールを狙えるというのはもはや必要不可欠です。

④二列目からの飛び出しが得意

これは中島翔哉の瞬発力が活きる事もあり、中島選手の飛び出しに身体が大きく機敏性がないDFに対して大きなアドバンテージです。
また、柴崎のように、後ろからのフィードパスが上手な選手がいる日本代表にとって、二列目から裏に抜ける動きも出来る中島翔哉は戦術的にもあっているのです。

☆最後に

中島翔哉の移籍についてですが、ポルトガル語を学んだ事もあり、出来る事ならスペインのCLが狙える中堅クラブが個人的には良いなと思っています。
ニュース通りなら、セビージャは面白いと思います。
それか、ポルトガルの強豪クラブのポルトへ移籍して、満員のドラゴンの中、楽しんでプレーしてほしい。

本当はもっと語りたいですが、長くなってしまうので、今回はここまで。
私の下手な文章、お許し下さい(笑)

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※概要はウィキペディアより抜粋↓

中島 翔哉(なかじま しょうや、1994年8月23日 – )は、東京都八王子市出身のサッカー選手。ポジションはMF、FW。日本代表。

プロ入り前

6歳の時にサッカーを始めるも、同時期に両親が離婚し、母子家庭に育ち、2つのサッカースクールとフットサル教室に通っていた。2004年より東京ヴェルディの下部組織に加入。中学生時にはブラジルへのサッカー留学も3度経験した。2010年には東京都選抜の一員として国体で優勝。2011年にはクラブユース選手権で連覇を果たし、自身もベストヤングプレーヤーに選出された。また、2012年にはオランダのアヤックス・アムステルダムに短期留学している。

東京ヴェルディ時代

2012年2月、2種登録選手に登録されトップチームに帯同。同年9月より監督に就いた高橋真一郎によって抜擢され、天皇杯2回戦のH大分戦で途中出場し、トップチーム初出場。同月14日のJ2第33節福岡戦でJリーグ初出場。同点となるゴールを挙げ、チームの連敗脱出に貢献した。翌10月に東京Vとのプロ契約締結が発表された。同月に行われたJ2第39節栃木戦ではハットトリックを記録。18歳59日での達成により松波正信のJリーグ最年少記録を塗り替えた。

2013年は高橋の退任もあって先発出場が激減し、2得点に留まったが、そのいずれもが決勝点となった。J2第35節群馬戦で決めた得点は、同年のJ2最優秀ゴール賞に選出された。

カターレ富山時代

2014年、依然東京Vでは満足に出場が見込めないことから、同クラブの新体制発表後にFC東京へ完全移籍し、同時に中島の才を買うカターレ富山へと期限付き移籍。富山では中島の加入に合わせて急遽布陣が変更され、FWやトップ下、左サイドハーフに配された。スピード溢れるドリブル突破で好機に絡み前線からの守備に奔走するも、味方のサポートが及ばずに孤立する場面も多く、自身のシュートミスも重なって得点は伸びなかった。

FC東京時代

2014年8月25日、FC東京へ復帰。シーズン半ばを過ぎ主戦力が固まっている中、途中出場からのチャンスメークで貢献した。 2015年6月20日、第16節の鳥栖戦でJ1初得点。

2016年はU-23代表での活動により新チーム発足に乗り遅れたことから、U-23チームでのプレーが続いた。自身より若い選手が多いチームにあって難しい役割を強いられる中で、右膝内側側副靱帯の受傷も重なり、J1・1stステージの出場は2試合に留まった。J1・2ndステージでは、中島の長所を尊重する篠田善之新監督の下、FWムリキの負傷に伴い左サイドハーフに配されると、カットインからの鋭いシュートという得意な形からゴールへの積極性を存分に発揮。第11節湘南戦では2試合連続得点となるミドルシュートを決め、同16節の仙台戦では決勝点となる2試合連続のアシストで3連勝に貢献した。

2017年は開幕から2試合連続で途中出場し得点に絡んだ。

ポルティモネンセ時代
※1年目

2017年8月23日、プリメイラ・リーガ(ポルトガル一部)のポルティモネンセSCへ、2018年6月30日までの期限付き移籍が決定した。ポルティモネンセが公式サイトで発表した。9月3日、カップ戦2回戦のシャベス戦で後半から出場して移籍後初出場を果たした。9月8日、第5節のSLベンフィカ戦でスタメン出場をしてリーグ戦デビューを飾った。9月18日、第6節のCDフェイレンセ戦では移籍後初得点を含む2得点の活躍を見せた。10、11月には4試合で3得点を記録し、リーグが選出する同期間の最優秀FWに選ばれた。最終的にはリーグ戦29試合に出場し29試合でスタメン、21試合にフル出場し、10得点12アシストという成績で終えた。

日本代表

2011年、U-17日本代表に選出されU-17ワールドカップに出場。準々決勝ブラジル戦では相手のスペースを巧みに突いて得点を挙げた。

2014年、手倉森誠監督率いるリオデジャネイロオリンピックを目指す日本代表に選出され、2014年1月開催のU-22アジア選手権に背番号10を背負って出場。切れ味鋭いドリブルで[54]相手DFを翻弄し、チーム最多となる3得点を記録した。同年9月のアジア競技大会でもエース格としてフル出場を続けた。

2015年、AFCアジアカップ2015のサポートメンバーとしてA代表に帯同。数合わせとしての参加ながら、得意のキレのあるドリブルで控え組を盛り立てた。その後も相手の守備組織を撹乱する素早い動き出しでパスを呼び込み得点力と運動量を兼備するチームに欠かせない存在として信頼を集めた。

U-23日本代表として出場した2016年1月のAFC U-23選手権では、準々決勝U-23イラン戦での2得点や、決勝U-23韓国代表戦での浅野拓磨による決勝点のアシスト、素早い攻守の切替を体現する運動量でチームの初優勝に貢献し、大会最優秀選手に選ばれた。

負傷によりトゥーロン国際大会を欠場し、一時はオリンピック本大会出場を危ぶまれたが、キリンチャレンジカップU-23南アフリカ戦で2得点を挙げてメンバー入りを手繰り寄せた。オリンピック本大会ではグループリーグ第2戦のU-23コロンビア戦で先発出場し、相手GKの頭上を抜く鮮やかなミドルシュートを決めて決勝トーナメント進出への望みをつないだが、第3戦の他チームの結果によりグループリーグで敗退した。このゴールにより手倉森体制下での総得点はチーム最多となる19得点を数えた。

2018年3月24日、マリとの親善試合でサッカー日本代表としてデビューを果たし、初出場ながら三竿健斗のボールに合わせてネットを揺らし、チームの窮地を救った。この試合や所属チームの活躍もあり、W杯メンバー選出に期待されたが、マリ戦で中島を代表に選出し、この試合の中島を絶賛していたヴァヒド・ハリルホジッチが日本代表監督を解任された影響もあり、W杯メンバーからは落選した。


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